発覚から手術へ

今にして思えば数々の自覚症状を見逃し発覚した時は前立腺がん末期・ステージ4と宣告された大ちゃんの体験記。

こんなことが起こるんですね!?

人生には三つの坂
『のぼり坂』
『くだり坂』
『まさか!?』があると言われてますが、68才になってその『まさか!?の坂』に正面衝突しました。

『あなたは、がんです。』 前立腺がん・末期・ステージ4と宣告された大ちゃん体験記!!

『このまま放っておくと、何らかの衝撃(転倒等)でいつ脊椎損傷で 下半身不随になってもおかしくありませんよ。』
こうF病院・整形外科医Mドクターに、MRI写真の黒っぽい影を示しながら宣告された。

病室で読書中
私の頭の中では余りに唐突すぎて
『まさか!?』
『どうーして!!』
『こんなにも普通で、元気なのに!?!???』と

思考が滞りがちになった頭を、何とか踏ん張りながら
『どうしよう!』
『妻に心配・苦労をかけないか?』
『何か別の方法はないのか?』等々と考え巡らす。

さっき泌尿器科のTドクターに、『前立腺がん ステージ4』と言われ今度は整形外科で、『下半身不随になるかも!!??』と通告される。

『何がいけなかったのか?』
『酒もタバコも吸わず、不摂生な生活とは無縁のはずだし・・・』
『会社のために働いてきたはずだし・・・』と

ドクターの言葉は聞いているけど、 それを現実として受け入れられず
『何故だ、何故だ・・・』と虚脱して薄らぐ思考の中で
癌・ステージ4・下半身不随』 の言葉の断片だけが解決案もないまま
それでも下半身マヒして車椅子に乗っている 自分の姿がチラリと脳裏をかすめていった。

これが68年間生きてきて病気知らずましてや手術などとは他人事で、縁遠い生活から一気に緊急手術になった事の始まりでした。

発覚(何かおかしいな!?)・・いくら鈍感な大ちゃんでも!

ピリピリ・チリチリチリ・・・・』と何の前触れもなく、ちょうど乳首の下当たりを横一線に(時間にして1~2秒)電気のようなものが走る。

ベッドで就寝中

私は『ウッ!!!』と息を殺して我慢し、ピリピリが通り過ぎるのを待っている。
平成29年4月から5月かけて、身体の異常を知らせる(今にして思えば)最終警告がこの『ピリピリ・チリチリチリ・・・』となって胸部にSOSが発せられていた。
もっと言えば、平成28年8月頃には左肩が重痛くなって腕を上げにくくなっていた。

この時は依然患った四十肩がまた再発したのかな? と軽く考えてマッサージを1年くらいすれば治るだろうと、知り合いのマッサージを受けていました。

そうこうしているうちに平成29年3月頃から、左の大腿骨あたりが何か痛重たい。
でもこれ等の変調は、旅行に行くたびに撮りためた写真やビデオの編集や友達から頼まれた結婚式や家族写真等の編集で長時間パソコンに向かって座っていたのが原因の『体のコリ』ぐらいだろうと思ってマッサージばかり繰り返していた。

それでも依然として治らない。
そして決定的のおかしいと思ったのは、若い頃ギックリ腰を一回で治してくれた鍼灸院M氏に診てもらい施術しても、あの『ピリピリ・チリチリチリ・・・』が取れなかった時でした。

その時になってやっと近くのUクリニックに赴き、異変を訴えたところ『直ぐにMRIを撮って検査しましょう。』と言うことになり、前立腺がんが背骨に転移して神経を圧迫しその痛みが胸に時々現れていたと判明したのです。

今となっては、この時、MRIを撮りましょうと言ってくれたUドクターは、命の恩人です。

SOSから最後通牒へ!この時はさすがに大ちゃんも焦りました

今思えば『ピリピリ・チリチリチリ』と丁度乳首の下辺りを横一線に電気みたいに走ったのがSOSなら『え~加減、気づかんかい!!』(笑)と巧妙精緻な人体が
それは、ある友人が100兆円のお金を出しても作れないのが人体であり心臓がどうして動き始めるのか分からない等

最後の最後で自分自身の防衛本能が危機一髪の最後通牒として、『ビリビリ、ズ・ズ・ズーン』と腰から足先にかけて電気を走らせたのです。

これが来たときはさすがの私も、『やばい!』『これは、ただ事でない!』と身が震えました。

そりゃそうですよね!健康な暮らしで、普通に歩けることが当たり前の日々から一瞬にして下半身不随の危機が迫っていたのですから、この『ビリビリ、ズ・ズ・ズーン』が来た直後に前立腺の生体検査。その後の手術、入院と日程が組まれ間一髪で危機を回避できた人体の最後通牒でした。

本当に幸運としか言いようがありません。

緊急手術までの日々を大ちゃんは!

平成29年6月2日 午後1時半:手術決定

検査からその日まであれこれと考える暇もない位に時間は過ぎていった。

それでも全身麻酔は、初めてで危険はないのか。まして、手を少し切った位しか経験がないのに背骨を削り取りボルトを入れる手術とは、いったいどれだけ危険なことなのか。

病院の喫茶店で珈琲を一杯

病院の喫茶店で珈琲を一杯

そう言えばMドクターから、手術前の説明を受けその時のリスクで怖気づいて手術を断る人もいると聞かされてるし・・・。その上で承認のサインを自室でして、提出するよう言われすでに署名し提出している。

そして手術の目的は、『今と同じ普通の生活が出来る状態になること!』。手術前まで、外観的には普通に歩き生活しているのだから自分で歩いて、座って、動けると言う状態は当たり前と言えば当たり前なのだが。

想定外、万一の場合、全力でやったのですがなどなどと言うこともあるし・・・悲観と楽観が入り乱れて時間だけが過ぎていった。

手術当日の出来事。大ちゃん驚きの体験談

『え、歩いて行くんですか?』

手術前のシーンと言えばTVドラマのように部屋からベッドに横たわったまま妻と手を握り合い『がんばって!』と最後の言葉を交わし手術室へと思っていたのですが(笑)

手術直前

6月2日13:30 手術直前このドアが生死を分ける関係者以外立入禁止区域

実際は背中が大きく割れた手術服を部屋で着替えてスタスタと妻と、妻の母と三人で3階にある手術室まで歩いて行くことになったのです。

凄いですね!病人扱いしないのですね!コンビニにお使いに行くみたいですね!(笑)

午前中は午後1時半からの手術に備えて『浣腸しますか?』と看護師さん。元々が便秘気味で腹の調子はいつも良くないので
どうしよう!?手術には、オムツを使用するみたいだけど粗相があってはと考えると時間とお腹が気になる。

幸いにも朝少しは出たので看護師さんに、『浣腸どうしようかナ?』と尋ねると、『大丈夫ですよ!』と軽く言われ、そんなものか?出たとこ勝負(笑)しかないかと1時半を迎えてしまった。

そうして1時半を迎えスタスタと歩いて手術室に。大きな病院のせいか赤い手術中のランプが廊下の左右に4カ所も点灯している。すでに4人が手術中で私の手術室は最奥と案内される。

手術室に入るとベットが2つあって少し小さめのベットに仰向けで寝かされ、手を差し出して二言三言交わした後は、まったく記憶が無くなってしまった。そう言えばいつも忙しくクールなMドクターは記憶が飛ぶ寸前にバタバタと手術室に来られて、声をかけてくれた。

今どきの外科手術は、大したもんだ!担当してくれたMドクターには、感謝(ありがとう!)しかない。

手術して入院へ、何事も初めての大ちゃん体験記

手術が終わったのか
『池田さ~ん、聞こえますか?』
『聞こえたら、足を動かして下さ~い。
『口を開けて下さ~い。』
『口を閉じていいですよ。』とどこか上の方から、かすかに聞こえてくる。

酸素マスク使用中

手術直後。意識があるのか?ないのか?酸素マスクなどチューブがうっとしかった

ここが手術室か自分の部屋か分からないけど私も手術が終わったらいの一番に足が動くか確かめたかったので、ぼんやりした意識の中で
《足、動け!》
《口、開け!》と脳を働かす。
そうすると直ぐに『池田さん、いいですよ。』『動いてますよ!』とドクターの声がこれまた遠くから聞こえて来た。私はホッとする間も安心する間もなく、また眠ってしまった。

手術当夜の出来事、大ちゃんの苦闘とは・・・

どうやら自室に帰ったようだ。酸素マスクが鬱陶(うっと)しい!
それに体には足には血栓予防とかでマッサージ用のチューブが2本尿のチューブに背中から血抜きのチューブ。それに点滴のチューブと全部で5本。たぶん手術室からは、この状態で3階から9階に帰って来たのだろうけど、これを見た妻と母は、さぞ驚いたことだろうと思う。

当初5時間の手術予定を少しオーバーしたらしく、待つ身にとってはさぞかし気をもんだことだと思います。

そうして手術後の第一夜、麻酔が何時頃さめたのか分からないけど、先ず邪魔くさかったのが酸素マスク。ウトウトしながら酸素マスクを外そうとするけど『酸欠』になるから駄目ですと看護師さんの注意。何時間かしてマスクは取れたのですが難行の本番はこれからでした。

何しろ背中を切って血抜きチューブ等を刺されているので仰向けで寝れない。少しでも楽な横向きになろうとしても体が動かない怖くてどこまで力をかけたら良いか分からない。

仰向きで寝られない

仰向けで寝れない。横向きもしんどい!

右を向いて横を向くのにベッドの手すりを持って尺取虫状態で少しずつ体をずらすしかない。やっと右横向きになっても同じ姿勢がつらくなり次は逆の左向き姿勢に変えたくなり、また尺取虫になって一寸刻みで方向転換する。

そんな難行苦行を繰り返してる最中に、ひょっと横を見ると妻は高いびき【グー、スー、グ・ググッ】をかいて寝入っている。初日位は徹夜で看病してくれるのかと思っていたけど甘い(笑)

妻は豪胆なのか?
待ち疲れたのか?
手術の成功で安心したのか?
私より先に寝て、私より後に起きてきました。こうして2週間余りの二人の入院生活が始まりました。

勿論、私はその夜はほとんど寝ずの番で妻の寝息(いびき)を聞いていました。(笑)

手術して3日が術後の難関と言われ大ちゃんは!

手術を終え、自室に帰ってからの3日が次の難関(合併症)でした。

血圧が下がっている。(血圧が100切ってる。)

血抜きチューブから血が出すぎてますね。(一体、手術ではどのくらい出血したのだろうか?)(血が出過ぎてると言ってるのに検査ですよとまた採血していく。)

そうこうしてると、若い看護師さんが採血がうまくいかなかったのでもう一度採血しますとまた血を抜いて行く。

こちらは怒ることも出来ず【えー加減にせんかい!と心の中でつぶやく(笑)】

これ以上血が出ると、輸血が必要かも?(もし輸血すると、新たなリスクが加わるし!)

次いで尿管は、何時抜きましょうか?背中の血抜きチューブは、何時抜きましょうか?(チューブは感染の恐れもあり、早く取るのが良いのだけど・・・!?!?) 等々と。

看護師さんと医師にとっては業務上の会話でもそれを聞いてる私には、疑心暗鬼、想定外、不慮のミス等々のマイナスな妄想が一瞬頭ををよぎりつらくて長い、愚痴ることも出来ない孤独な3日間でした。

それでも何とかMドクターの決断と処置で合併症を起こすことなく3日が無事過ぎて行きました。

癌の原因とは?

がん、原因は遺伝子の傷。タイプ分類、治療に応用へ
2013/10/6付 日本経済新聞 朝刊

手術して家に帰った大ちゃん

こうして妻と私の2週間の入院・闘病生活を経て、現在、退院して家に帰り元気を取り戻しつつ暮らしてます。